• 世界を記述し、より良い生活を考える06
  • 2023年12月27日

知識と思想をつなぐ、港から

たゆたう海と、共に生きる

  • 一般社団法人3710Lab

髪を洗浄した水はやがて海へと至るように、海と私たちの生活は確かにつながっている。私たちはその海と、どのように共生していくことができるだろうか。
それを海洋教育という分野を通じて実践的なプログラムを提供し、社会に問いかけるのが一般社団法人3710Lab(以下、みなとラボ)だ。代表を務める田口康大さんとともに、海と私たちの生活、その関係性を見つめる。

  • 写真:森田晃博
  • 文:熊谷麻那
  • 編集:水島七恵

知識と思想。そのあいだをつなぐ教育

日本の全国各地で、海洋教育に従事されているみなとラボですが、田口さんご自身はもともと海洋とは遠く、教育学、なかでも教育哲学を専門とされていました。そのなかで、「海」に着目するきっかけは、何だったのでしょうか?

大きなきっかけのひとつは、2011年に発生した東日本大震災です。僕は当時、教育哲学を深めるためにドイツ・ベルリンへ留学をしていたので、一連の災禍は遠くの地で見ていました。青森県の生まれで、学生時代は宮城県仙台市に住んでいたので家族や知り合いの多くも被災し、身近に切実に被害を感じながら、人々の命を奪い、技術も文化も圧倒的な力で飲み込んでいく「海」という存在に改めて気付かされ、そんな海と、どう関わって生きていくべきか?という問いが、それまでに考えてきた「教育とは何か」という問いとともに、自分のなかで大きくなりました。

みなとラボが設立するきっかけにもなった、宮城県沿岸の海。

震災から海と教育が結びついたんですね。みなとラボの活動にはどのようにつながっていったのでしょうか。

留学から帰ってきたところで、2012年に縁があり、2013年から東京大学の海洋教育促進研究センター(現・海洋教育センター)に所属しました。そこは、教育学系の研究者と海洋学系の研究者が協同し、全国の学校や教育委員会、自治体と連携しながら海洋教育についての研究活動を行う機関です。着任後、僕がはじめに向かったのは、震災で甚大な被害があった宮城県気仙沼市。気仙沼市は震災前から、持続可能な開発のための教育(ESD)と呼ばれる教育の手法を取り入れ、地域の漁協組合との交流や体験活動を積極的に行うなど、環境教育の分野で世界的に評価されてきた地域でした。そうした地域で今後、どのような海洋教育が求められるのか。まずは地域の現状を知ることが必要だと考え、市の教育委員会に話を聞きにいくと、その教育長は「失敗した」と言ったんです。

「失敗」というと?

「私たちはこれまでも、水産業や海洋環境のこと、津波防災に関する知識は教えてきた。けれど、『なぜ私たちは、海と共に生きるのか。これまでこの地域では、どのように海との関係を築いてきたのか』というような、思想的な部分を伝えられていなかった」と。僕の専門は、まさに教育哲学という思想にあたる部分です。それなら、一緒にできることがあるのではないかということで、2013年頃にみなとラボの活動も始まりました。

取材は東京・南青山にあるみなとラボのオフィスにて。

自然科学の「知識」と教育哲学の「思想」。今に続くみなとラボの活動の根幹がそこで形成されたんですね。そうして活動を続けられてきた田口さんにとって、海洋教育とはどのように定義づけられますか?

「海と人との共生に向き合う教育」でしょうか。「共生」という言葉も捉えにくいものですが、その形は、地域や時代ごとの社会や自然環境によって変化するものです。一定の答えはないからこそ、社会みんなでその都度形づくっていく「営み」のようなものかもしれません。

「教育」という言葉もまた、考え深いですね。

そうですね。教育というのは、「組織的に、意図を持って、何かしら働きかけるもの」だと、僕は捉えています。教育とはその行為自体を指す言葉で、行為のやり方や目的によっては、暴力的にも、人の支えにもなるものだと思います。想像しやすいのは学校教育かもしれませんが、その行為の対象は、子どもたちに限ったものではなく、「社会」にもなりえます。みなとラボでは、この「社会」へのまなざしを常に持つということを大切にしています。

オフィスには海をテーマとした本がずらりと立ち並ぶ。自然科学的な本だけではなく、人文書や絵本も多い。

社会へ向けたアクションとしての教育。子どもたちや地域の視点と、社会全体に向けた視線を持つからこそ、活動も多面的になっていくんですね。

そうかもしれません。大きな社会を意識しつつも、それでも僕が一番こだわっているのは、「子どもたちが社会に出た後に死ななくてもいいように」という、一点なんです。生きることが苦しくなったときに、それを支えるような経験や発散する表現方法などを、学校にいる間に、子どもたちに身につけてもらいたい。そこを強く意識しています。だからこそ、社会を見ながら同時に子どもたち一人ひとりを見ていく。そういう二つの視点の中で、プログラムを作っている感覚があります。

広島県福山市にある複合施設「 iti SETOUCHI(イチ セトウチ)」と、みなとラボが共同で開催したワークショップ。子どもたち自身が海で発見した「かたち」を、地元の画家のレクチャーを受けながら絵として表現する。写真:みなとラボ

大きなスケールを想像し、教育を再構築する

約10年間、みなとラボとして海洋教育を続けていく中で、田口さん自身が変化したことはありますか?

海をひとつのテーマに持っていたことで、教育を考える上でのスケール感は、大きく変化したように思います。時間軸も空間軸も、人間の一生よりも広く考えなければいけないんじゃないかと。
例えば、「地球温暖化を防ぐには?」という課題。これは大人も正解を持っていないし、僕たちの一生のうちでは解決できないかもしれません。けれど学校教育のシステムの中では、評価のために1学年のうちに何かしらの答えを求めてしまいます。さらに社会では継続してその課題と向き合える環境もありません。構造的な限界に、すでに至っているのだと思います。

そこで、みなとラボが持つスケール感は、大きな意味を帯びてきそうです。

そうですね。僕たちが気仙沼市と共同で行なったのは、「新しい教科をつくる」ということです。「海と生きる探究活動」という名前で、カリキュラムと副読本をつくったんです。「何を、どれくらい、学んでいくか?」から先生方や地域のみなさんと話し合って、通常の学校教育なら1年間で構成するようなカリキュラムを、小学校の6年間と、その先の中学校を合わせて9年間に引き伸ばしたんですね。そういった学びの構造をゼロから組み立てるような仕事をしています。

田口さんが所属する、東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センターと気仙沼市が共同で制作した副読本「『海と生きる』を学ぶガイドブック」(左)と、海洋教育の目的を定めた「海洋リテラシー for 気仙沼ガイド」(右)。

学校とみなとラボとの連携の中で、学生と一緒に本をつくられることもありますね。

はい、ひとつの例としては、長崎県の高校生と作った「海ゴミ」をテーマにした本があります。授業で海ゴミの清掃活動を続けてきた4人の高校生たちが、その課題をもっと多くの人たちに知ってもらえる本をつくりたい、と相談に来てくれたんです。授業では課題の根深さに気づくにとどまってしまい、解決策までは見いだせなかった。だから、ぶつかった課題を後輩に引き継いで、その上に新たな気づきを積み上げてほしい。そんな思いから、本の半分は絵本に、もう半分には自分たちの活動記録とそこでの挫折がまとめられています。タイトルは、「解決できなかったわたしたちの問題」。長いスパンで向き合う課題だからこそ、こうした本という形にできることに、意味があるのではないかと思っています。

実際にみなとラボと長崎県立長崎東高等学校3年生の4人が共につくった「海ゴミ」をテーマにした本『解決できなかったわたしたちの問題~海とごみと高校生~/ペットボトルと黒いかげ』。書店周りなども高校生と行い、「思い出深い本です」と田口さんはいう。
これまで様々な地域の学生たちと共に制作した本たちは、みなとラボのオンラインショップでも一部購入可能。

早く、遠くへ向かおうとする社会へ

多くの地域に持続的に関わりながら、さまざまな取り組みをされているなかで、田口さんが今感じられている、教育を取り巻く課題とは何でしょうか?

少し視点を上げて考えると、ひとつに「早い」ということがあると思います。

スピード感が、早い?

はい。学校でも、あるいは、社会に出てからもそうかもしれませんが、成果や価値をすぐに求められ、ひとつの評価軸だけで判断されてしまうことが多いと思います。学校教育でたとえると、授業の終わりにレポートやアンケートが求められますよね。でも僕は、これって本当に必要なのかなと思うんです。今、自分が受けた授業が、自分にとってどんな意味があるのか。その答えは、時間をかけてゆっくりわかっていくものかもしれないのに、評価のために、大人は即時的に求めてしまう。そういうことが、学校や社会のいたるところで起きているように感じています。

大人でも、そのスピードについていくのは難しいように思います。

そうですね。ですから子どもたちにとっては、より苦しいんじゃないかなと思います。もしかしたら「何かをしていないといけない」という気持ちから、社会課題に向き合う子どもたちもいるのかもしれません。だとすると、とても怖いですよね。今、地球規模で顕在化している環境課題は、自分たちが生きているうちに解決するものではないかもしれないから、先が見えてしまった瞬間にバックラッシュが起きてしまう可能性もあります。そういう課題も、今後はあるように思います。

オフィスに飾られていたオブジェ。海での食物連鎖を表しているそう。

ゆっくり急げ。みなとラボという営みは続く

みなとラボが掲げる「海と人との共生」も同様に、答えはなく、終わりもないように思います。これからのみなとラボの在り方を、田口さんはどのように考えていますか?

「この活動のゴールは何ですか?」と、たまに聞かれるのですが、僕たちの活動にはゴールってないんですよね。もちろんプロジェクトごとのゴールは定めていますが、みなとラボの活動そのものは、必要と考えられる限り、ずっと続いていくもので。

みなとラボが日本財団と協同開催した第二回 国際海洋環境デザイン会議 「OCEAN BLINDNESS ー私たちは海を知らないー」にて。世界の貝殻や海藻を素材にお面を製作し、海の生き物になってみるというワークショップの様子。写真:Masaaki Inoue・みなとラボ

教育という分野で法人として活動を続けること、それ自体の難しさもありそうですね。

はい。教育と資本経済が接続されにくいというのは事実で、だからこそ、その営みが持つ社会的意義を伝えていく必要もあると思っています。ものづくりや経済においてはこれまで、それらを前に進めることだけを目的に進んできてしまった部分があります。けれど本当は、その行為が社会や環境、後世にどんな影響を与えるのか。それを想像する必要があるはずなんです。

自分たちの外側や見えないところまで想像すること。余[yo]のヘアケアシリーズもまた、原点には美しい川をそのままの形で未来に残していきたいという思いがあります。

そうですね。きっと近しい志向を抱いているだろうと想像します。余[yo]は製品やデザインの観点からのアプローチが印象的ですが、僕はやはり、教育という視点から、そうした倫理的な側面を担っていきたいと思っているんですね。だからこそ、みなとラボの役割は、社会への視点を持ち続けながら教育という営みを続けていくことなんです。

自然環境という側面では、昨今、海洋汚染や温暖化、生態系バランスの乱れなど、海を取り巻く環境課題も多様に、切実になっているように感じます。みなとラボは、どのような眼差しを向けられていますか。

この活動は、直接的に課題にアプローチすることにはならないかもしれません。けれど長期的に見たときに、海と人との距離を近づけることが、大きな環境課題の根本を解決することにつながるはずだと思っています。本やワークショップをつくるときにも、それが社会にどう関わっているのか。海や、後世にどうつながっていくのかを想像していきます。教育をとおして、それを何度も思い出せるようにしていくことが大切だと思うんですね。

まさに、海と共に生きるためのタイムスケールですね。

当たり前のことかもしれませんが、海ってとても大きいんですね。僕たちがどれだけアクションをしても、なかなか変わらないんです。だからこそ、大人も子どもも関係なく、ゆっくりと時間をかけて考えていく必要があります。僕の座右の銘は、ゆっくり急げ(Festina lente)。海を見ながら、ぼーっとするというような、一見無意味にも思える余白の時間が、気づかせてくれることを忘れずに、活動を続けていきたいと思っています。

プロフィール

田口康大 TAGUCHI Kodai

一般社団法人みなとラボ代表理事/東京大学大学院教育学研究科附属海洋教育センター特任講師。

青森県生まれ。秋田県を経て、宮城県仙台市で育つ。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。2013年、東京大学大学院教育学研究科に特任講師として着任。教育学・教育人間学を専門とし、人間と教育との関係について学際的に研究している。現在は、学校の授業デザインや、学校を軸にした地域づくりに取り組み、新しい教育のあり方を探求している。

一般社団法人3710Lab(みなとラボ)

「海と人とを学びでつなぐ」をテーマに、新しい学びを描くプラットフォームとして、2015年に正式に設立。多様な専門家たち・学校や地域・子どもたちとをつなぎ、学びのあり方を深める海洋教育プログラム「海洋デザイン教育プロジェクト」などを実施している。
https://3710lab.com