• 世界を記述し、より良い生活を考える03
  • 2023年7月3日

北アルプスを望む長野県・安曇野の森から

「セルフケア。心と身体はその輪郭を越えていく」前編

  • 穂高養生園

北アルプスの麓の緑豊かな森に佇む穂高養生園。心と身体の総合的なケアを行うホリスティックリトリート宿泊施設として、全国各地から人々が訪れている。忙しない日常から距離を置き、過ごす空白の時間。そこから見つめる、セルフケアの意味とその手立て。

  • 写真:上澤友香
  • 編集・文:水島七恵

澄んだ湧き水を育てる、ふかふかの森

東京から穂高養生園に向かう車中。標高3,000m級の北アルプスを背に一面に広がる美しい水田に目を奪われる。その水田を潤しているのは安曇野の名水と呼ばれる天然の湧き水だ。雪解け水や雨水が山麓のふわふわな森の土に浸み込んでいく。やがて自然界の生物がゆっくりと時間をかけて分解し、地層に濾過されることで、ミネラルバランスのよい湧き水となる。

1986年に建てられた養生園で最も歴史の深い本館・里の家。受付はこちら。

養生園は、その湧き水を育てる森のなかにあった。一言で表すならば、ホリスティック・リトリート宿泊施設。日常の生活とは距離を置き、ここでは心身を自然に委ねて過ごす。4月、私たちは冬季閉園を経て開園したばかりの養生園に宿泊した。

里の家の中庭。その延長線上には養生園で管理しているハーブガーデンとバタフライガーデンがある。

訪れた日は日差しが暖かく、養生園は静かだった。そのなかでも微かに感じるのは、冬に蓄えたエネルギーを少しずつ芽生えさせようとする植物のにぎやかさ。植物に引っ張られるように弾む心を感じながら本館・里の家の入り口に向かうと、スタッフの三輪久美子さんが出迎えてくれた。

里の家のホールから続くウッドデッキの中庭にて、三輪さん(左)と。この中庭を囲むように木造りの建物が建っている。

三輪さんは2012年から養生園のスタッフとなり、主に広報を務めながらヨーガプログラム、ECサイトの運営などを担当している。
「お花を活けたり、お掃除もしますし、お菓子も焼きます。基本的になんでもやります。そのなかで大切にしていることは、ここでセルフケアするすべての人が、存分にその時間に没頭できるように館内を整えること。備品も最低限必要なものだけが必要な場所にあるように心がけています」

現在スタッフは三輪さんも含めて総勢約25人。スタッフそれぞれが養生園のテーマである、“セルフケアの手立て”を見つめ、実践し、ゲストに提供している。主なアプローチは、自然菜園や地元の農家さんの畑でとれた新鮮野菜を丸ごと使い、養生のために考えられた食事。やさしい適度な運動。そして温泉やヨーガで深いリラックスなど、この3つを軸としながら、今年からケアシフトを作って、個々に養生園でできることを見つめる時間を作っている。

食事は朝食と夕食の一日二食。里の家ホール(写真)でいただく。
里の家ホールと調理場は隣合わせ。調理場では養生園の料理人で、今日の夕食のメインキッチンを務める鈴木 愛さんがスタッフと共に夕食の準備をしていた。

「スタッフそれぞれが持っている才能を活かしていくために何ができるだろう。ケアシフトは働き方を工夫しながらそれを実践する時間とも言えます。ここでいう才能とは何も特別な力ではなく、得意なこととか、自然にできてしまっていること。または普段やってみたいと思いながら、できていなかったこと。そういったことをもう一歩深めて、先に進めてみる時間です」

里の家からすぐそばに2016年に建てられた「新棟」のお部屋。この土地で育った木を自然の形そのままに活かして立てた柱と、身体にやさしい白い漆喰の壁。中庭の緑に心安らぐ。

三輪さんが語る働き方の工夫は、養生園の空気を作っている。そう感じる瞬間がそこここにある。例えば養生園のスタッフと私たち宿泊者は、スタッフとゲストいう関係性である前に、共同生活をしている同志のような感覚。まるで同じ道中を行く仲間のような、そんな気持ちが湧いてくるのは、きっと働き方が一律のルールに基づいた対応や所作ではなく、個々がいきいきと自分らしく在るからに違いない。

養生園のアメニティとして、余[yo]シリーズから「余白」が採用され、各棟の温泉に備えられている。

「三輪さんを同志のように感じてしまいます」。そう伝えると、こう笑顔で返してくれた。
「そうですか!そんな風にご理解くださるゲストの方が多く、いつも感謝しています。確かにもてなす側ともてなされる側に分かれてしまったら、自然治癒力を高めるために実践してきたセルフケアの形が歪んでしまうとも思うんです。だからこそスタッフはできるだけフラットな状態でいること。それはとても大切にしています」

環境に助けられて、自分が整っていく

里の家から歩いて約20分の距離に森エリアがある。ここではデトックスプログラムやヨガプログラム、料理教室など、年間を通して様々なワークショップが行われている。里の家に比べてだいぶ緑が深くなるが、そこからさらに10分程歩いていくと、原生林の入り口がある。

三輪さんの案内のもと、私たちは原生林を歩いた。空気が澄み渡り、呼吸が深くなっていくのを感じる。それは同時に人間にとって不可知な領域、野生の方へと足を踏み入れたような実感があった。
「養生園は環境ありきなんです。環境に助けられて初めて自分も整う。ここで働いているとそのことに心から気づかされます。自分も環境の一部。そういう認識が生まれていきますし、環境を壊すことなく大切に受け継いでいくことが、そのまま養生園の未来につながっていくことだと思います」

自分も環境の一部。三輪さんの話を伺いながら、養生園が示すホリスティック・リトリートの意味を反芻する。ホリスティックとはギリシャ語の「全体性」を意味する「hols(ホルス)」を語源とするが、自分の輪郭が周囲の環境に溶けていくこと。その全体性のなかでの調和を探すことがホリスティックかもしれない。そう感じていると、三輪さんが言葉を重ねた。

森エリアのなかにあるアースバッグハウス。アースバッグハウスとは土嚢袋に土を詰めたものを積みあげて作る、シンプルなエコハウス。

「セルフケアというと自分の心と身体のケアだと思いますよね。もちろんその通りなのですが、環境が整っていないと自分も整わないことに気づくと、セルフケアとは自分のことだけじゃなくなりますよね。だったらその範囲を少しずつ広げていこう。昨年に養生園のスタッフとも確認し合ったんです。自分の身体の範囲から、住んでいる家、暮らす地域、社会……と少しずつではありますがケアの範囲を広げていく。養生園は今その段階にあるのかなと思います」

養生園で管理しているハーブ、レモンバーベナの冬越しの様子。香りが生命感に溢れていた。

緑の景観。花の香りに風の音、小鳥の鳴き声、木の肌触り。山菜や木の実などの森の恵み。自分の身体は、実在する輪郭を越えたものをその五感で感じ取っている。調和は言葉を超えてやってくることを感じていると、お腹が空いた。身体が素直になっていく。私たちは里の家ホールへと戻り、ほどなくして季節の恵みがぎゅっと詰まった玄米菜食による夕食をいただいた。

この日の夕食の主菜はリーフサラダとレモンとセロリのコロッケ。副菜は菜の花とにんじんとひじきのマリネ、れんこんと塩麹のポタージュ。主食はにんじんの炊き込みご飯。デザートはよもぎのプリン。
取材協力

穂高養生園 Hotaka Yojoen

信州・安曇野の豊かな自然の中、「心身にやさしい食事、適度な運動、大自然を感じながらゆったりリラックス」これら3つのアプローチにより、本来誰にでもそなわっている自然治癒力を高めることを目的とした宿泊施設。リトリートの宿泊のほか、ヨーガやデトックス(半断食)、アート、コミュニケーション、ハーブなどさまざまなテーマのワークショップを開催している。
https://www.yojoen.com