• 世界を記述し、より良い生活を考える04
  • 2023年7月28日

北アルプスを望む長野県・安曇野の森から

「セルフケア。心と身体はその輪郭を越えていく」後編

  • 穂高養生園

北アルプスの麓の緑豊かな森に佇む穂高養生園。心と身体の総合的なケアを行うホリスティックリトリート宿泊施設として、全国各地から人々が訪れている。忙しない日常から距離を置き、過ごす空白の時間。そこから見つめる、セルフケアの意味とその手立て。

  • 写真:上澤友香
  • 編集・文:水島七恵

積み重なった髪と気持ちにハサミを入れて

養生園での滞在2日目、少し肌寒い朝。私たちは安曇野を一望できる物見の岩を目指し、山を登った。山道はかなりの急勾配。全身を駆使しながら汗を拭い、必死に登り切った先で待っていたのは、北アルプスの山々から安曇野平野、戸隠連山、美ケ原高原までをぐるりと一望する景色。その景色を眺め深呼吸した途端、眠っていた自浄作用が一斉に目覚めた気がした。

里の家から歩いて約20分の距離にある「木と人カフェ」の2Fは「木と人ホール」(写真)。さまざまなワークショップを行っている。

その後、私たちは養生園が運営する宿泊ゲスト専用のカフェ「木と人カフェ」へ。昨夜の夕食のメインキッチンを担当した鈴木さんと待ち合わせ。ここから少しの間、カフェの一部は「oneday at 穂高養生園」に。「潤さんにカフェで髪を切ってもらうのは久しぶりです」と鈴木さん。

oneday at 穂高養生園とは東京・表参道アトリエ代表の高柳 潤によるプライベートセッションのこと。カットを通じて髪はもちろん、普段の生活で積み重なった気持ちもきれいに整えていく。その特定の空間と時間がもたらす効果をonedayと捉えた高柳は、これまでセッションを通じてお客様と共有してきたが、2016年からは養生園のご厚意により、森の中の木と人カフェで不定期開催することとなる。

そのお客様としてこれまでも数回、onedayを体験してきた鈴木さんは、「今日、数年ぶりにここで切ってもらいながら、今まで感じてきた心地よさとは違う何かがあるなと思いました」と話す。「うまく言えないんですけど、髪ってとても個人的なことなのに、ここに座って潤さんに切ってもらっているうちに自分に対する意識がなくなるというか、ただただ周りとの調和を感じられればそれでいい。そういう気持ちになりました」

鏡に映るのは青々とした木々と、ありのままの鈴木さんの姿。鳥の声や木々の葉音を聞きながら、髪にハサミを入れる音が響いていく。「髪を切る側と切られる側。森の中では双方ともに五感がリセットされて、ふっと心が解放されます」と高柳が話すその景色には、言葉にならない祝祭感がある。

「美容師となって30年、独立してサロンをオープンしてから10年。明確な正しさなどない美容の形を日々模索するなかで、いつしかその形とは髪型はもちろん、日々を通じて積み重なった気持ちも含めて整えることではないか。そう感じるようになりました。明日からの一日を、新鮮な気持ちで迎える。頭も、心もすっきりさせる。そんな自然体のスタイリングを提案するなかで、2016年から養生園でのonedayは不定期に開催させていただくことになりました。ここでは自然の力を借りながら、ハサミが勝手に動いていくような感覚があります。不要なものを取り除きながら、その人らしさが自然と整っていく。それはトレンドにあわせてデザインやスタイリングを追求することとは異なる、もう一つの美容の形。onedayで過ごす美容は、自分自身がこれまで模索してきた美容の形とつながっていました」
「整える」という美容への気づき。「厳しい世の中にあって、美容にこそできることは、きっと今自分が思う以上にたくさんある」と確信した高柳は、整えることを根底に据えたさまざまな取り組みを行うようになる。

その一連の取り組みのなかに、ヘアケアシリーズ余[yo]の開発・監修がある。かつて養生園では環境への配慮から長年石けんシャンプーを利用してきた。身体にもやさしい石けんシャンプーだが、髪質がきしんでしまうなど、石けんシャンプーならではの課題も切実に。
「身体にやさしく、環境への負担も少ないシャンプーが作れないだろうか」。高柳は「養生園の森に流れる美しい川をそのままの形で未来に残していく。と同時に日本人の髪と肌質に合った余計なものを入れない、まっすぐな製品を作りたい」と、余[yo]の発起人となって、さまざまな人の力を借りながら開発・監修を進めることとなる。

開発期間に4年をかけ2019年、ようやく発売にこぎつけた余[yo]は、養生園周辺の自然にも寄り添い、今では養生園のスタッフにとっても心身をリセットする手助けになっている。
「地球に良いものは人間にも良く、またその逆も然りです。すべては繋がっているんだと思います」と高柳。
不要だと考える成分を極限まで引き算することで、頭皮環境にアプローチする余[yo]。現在、養生園をはじめ、国内複数のヘアサロンや宿泊施設に導入されている。

畑や自然菜園の様子が、食事の景色に繋がっていく

久しぶりとなったoneday at 穂高養生園の時間を経て、私たちは里の家ホールに戻った。朝食の時間だ。
「季節の移り変わりや養生園の自然菜園の様子が食事の景色にそのまま繋がっているといいなあと思いながら、調理しています」。鈴木さんが昨夜話をしていた思いは、昨夜の夕食も今日の朝食も、お膳を目の前にした瞬間に感じることができる。

「養生園の食事はマクロビオテックをベースとした玄米菜食のお食事を日替わりメニューでご提供しています。マクロビオテックを理解する上で身土不二(しんどふじ)という言葉がありますが、それはからだ(身)と土(土地)は不二(分かちがたく結びついているもの)である、という意味なんですね。この身土不二の考え方に基づき、私たちは地元の野菜を丸ごと使った献立づくりを心がけています」

この日の朝食の主菜はゴマ豆腐、山菜の天ぷら、こごみとにんじんとこんにゃくの胡麻和えの3品。副菜はお蕎麦のサラダとまだか漬け、つくしの佃煮、わさび菜のおひたし。ごぼうとわかめとカンゾウの味噌汁。主食に筍のご飯。満開の桜を添えて。

養生園の食事は朝10時30分、夜は17時30分からと1日2食。開園当初からそれは変わらない。このリズムが守られている背景には引き算の栄養学がある。
「現代人はストレスをはじめ、さまざまな要因で必要以上に食べてしまっているんですよね。そういうなかで養生園では栄養をたくさん摂りましょうではなく、しっかりとお腹が空いてから食べましょうの引き算の考え方がベースになっています。きちんと消化がすんでから眠りに着くと、より深いリラックスが促されますし、自然治癒力も高まります」

2010年に東京から安曇野に移住し、養生園の料理人を務めてきた鈴木さん。現在養生園のキッチンは鈴木さんをはじめ、数人のスタッフで担当している。
「養生園にはいわゆる料理長のような立場の人間はいません。マクロビオテックや身土不二、引き算の考え方といった養生園の軸は共有しつつも、日々感じ取っている季節や身体の変化をキャッチしながら、受け取った食材を出来るだけ自然な形で次の命に繋げられるように。それぞれの考えのもと、献立づくりをしています」

キッチンのほかに里の家の受付も担当しているという鈴木さん。受付のすぐ隣には、日常に戻った後にもセルフケアの手助けになるようなアイテムを販売している。ECサイトで購入も可。

私たちが訪れた春はデトックスの季節。寒暖差が大きく自律神経のバランスが不安定になり、さまざまな不調が出やすい時期だが、鈴木さんは「そういうときに役立つのが春の苦味。芽吹きの時期の身体を穏やかにサポートしてくれます」と話し、朝食は旬の山菜が並んでいた。
「料理を作ることは、手紙を書くことに似ているなと思うことがあります。自分が差し出したものが、相手の方の感性を通して何かメッセージとして伝わって、それが自分に戻ってきたり他の方へ繋がったり。そのやりとりが料理の楽しさだなと改めて感じる日々です」

個と全体。ふたつの時間が流れる場所で

養生園の新しい自然菜園。ここで野菜や果樹を自然栽培で育て、来園するゲストやスタッフに提供していく。

30年以上自然菜園を耕作してきた養生園だが、新たに耕作放棄農地とそれに連なる山林を受け継ぎ、作物を作り始めて2年。養生園のすぐ近くの2500坪に及ぶ自然菜園は年々成長を遂げている。私たちは滞在最後にその自然菜園を見学させてもらった。
「ここは地主さんが先祖代々とてもきれいに使われてきた土地です。この美しい原風景を守り、後の世代へとこの居場所をつないでゆくことができれば」と話すのは、養生園のスタッフで菜園も担当する福田太志さん。
「毎年同じ時期、同じ場所で植物が成長しているように見えて、少しずつ生態系が変わってきているので、5年10年と観察し続けると、それまで見えてこなかったものが見えてくるはず。人間の時間感覚で落とし込みすぎると、窮屈になるのが自然の時間。自然の中には問いがたくさんあって、当たり前に見えていることもなんでなんだろう?と考えると、本当におもしろいです」

自然栽培に利用する堆肥。稲わらや落ち葉などの有機物を、微生物の力を使って分解させ、成分的に安定化するまで腐熟させたもの。

この春、菜園では新しいプロジェクトとしてパーマカルチャーの講座が始まっている。パーマカルチャーとは人間と自然が共存し、持続可能な暮らしを送るための概念であり、デザイン手法のこと。菜園の講座では日本国内で唯一、パーマカルチャーデザイナーの資格を取得することの出来る施設、パーマカルチャーセンタージャパン(PCCJ)から講師を呼び、養生園の敷地をデザインする塾を開いている。
「果樹や果菜、葉物野菜、豆類、養鶏など。150坪ほどのスペース(1世帯が自給可能な程度の畑)で菜園を作り、農作物を育てるという実践をしています」

ビニールハウスでは在来種の野菜やハーブの苗が育苗。

また昨年末には「大地の再生」プロジェクトの一環で、菜園の水脈を整えていた。大地の再生とは、造園技師・矢野智徳が長年にわたる観察と実践のくり返しを経て見出した、環境再生の手法のこと。自然の摂理である「空気と水の流れ」を整えることによって、畑だけではなくそこにつながる森や山全体が変化していく。
「一番山に近いエリアの水脈が滞っていて。この周りの溝をよく見ていただくとわかりますが、溝に草木や竹、炭が入っているでしょう。こうして空気の流れるルートをつくってあげると、土も変わり、草木も蘇る。水はけが良くなれば動物も喜びます。土地全体が気持ち良くなれば、人間にとっても心地よい場所になります」

太陽の光と水をたっぷりと吸収した無農薬の食物によって心身が整っていくこと。ゆっくりと時間をかけながら生態系が育まれ、自然が永続的につながっていくこと。養生園の新しい自然菜園は、個と全体。極小と極大。ふたつの時間が流れ、交わっている。
「養生園自体がまるで生き物のようで常に動いているんですよ。その変化を許容できるというのがここのすごくいいところだと思います。自分たちにとって心地良い環境とは何か。働きやすい環境とは何か。ひとりひとりが自発的に考えて動いていくなかで、想定していなかった意図や計画を越える創造が生まれていく。勝手にいい方向に向かっていくんです」
本当のセルフケアとは癒しの先に自立があり、最後は調和に向かう。養生園にはその力がある。広大な自然菜園を眺め、太志さんの話を聞きながら、そう感じた。

取材協力

穂高養生園 Hotaka Yojoen

信州・安曇野の豊かな自然の中、「心身にやさしい食事、適度な運動、大自然を感じながらゆったりリラックス」これら3つのアプローチにより、本来誰にでもそなわっている自然治癒力を高めることを目的とした宿泊施設。リトリートの宿泊のほか、ヨーガやデトックス(半断食)、アート、コミュニケーション、ハーブなどさまざまなテーマのワークショップを開催している。
https://www.yojoen.com